【生存確認】

生きている。
しばらく、日記を書く余裕もないほど忙しく、余裕もないほど調子が悪かった、という感じ。

それでもやっぱり、ここはもう少し残しておこうかな、と思っている。何がどうだから、という説明は、うまくは出来ないけれど。そのほうがなんとなく、いいような気がするのだ。

【下へまいります】

急に調子ががたん、と落ちた。何がなんだかわからないくらいに、突然に。泥水の上をはいまわっているような感じ、すぐに疲れて息があがり、立てなくなってふにゃりと床に粘着する。
怖くて気持ち悪くてあまりにもリアルな夢を見ては、叫びを上げて目を醒まし、起きている間も何か叫びだしたくなる。なんでもいいから、叫びだしたい。そして食欲がなくなり、吐かなければ、という切迫感もなく、気持ちが悪くなって自然に吐く。
わたしのいちばん調子の悪いパターンはこれかもしれない。そしてだんだん何もかもが面倒になってくるのだ。
仕事も少しお休みしてしまったけれど、こればっかりはどうしようもない。周囲に理解があることだけが救いだ。

ふらりふらり。それでも診察室でのわたしは毅然としていよう。いつもそうしているように。がんばらなくちゃ。こういうときは、ね。

【もういいかい、もういいよ】

いつまででも浸っていたいような甘美な思い出も、思い出すだけで吐き気がするような醜くつらい思い出も、何もかも全部、わたしの一部になっていく。
過去は少しずつ消化されて昇華されて、わたしは、「わたし」になっていく。時には、自分に都合のいいことだけで飾り立てて、時には、何もかもを捨ててしまいたくなるような穢れに転がって。それでも、わたしは、「わたし」になっていく。
100%なんてありえない。少なくともわたしには。
わたしにとってのしあわせは、きっとささやかなものだったのだ。いわゆる平凡な、いわゆるありふれた、いわゆるちっぽけな、いわゆるくだらない。それなのに、わたしはそれを振り切って走り抜けようとしてしまった。自分の軸(だと思い込んだもの)にずれることのない完璧な言葉、完璧な感情、完璧な色を求めてしまった。他人と違うもの、あるいは他人と同化出来るものをつかむことが出来たら死んでもいい、とさえ思ったこともあった。
でも、いま、こうして穏やかに「日常」を生きていることに満足しているわたしがいる。
「何か」(何なのか、わたしにもはっきりとはわからない、けれど、はっきりとイメージは出来る、そんな「何か」)を手にするために絞るように血を流すことは、きっとしばらくはしなくて良いのではないか、そんな気がする。
周囲から突出することも、周囲と同化することも、どちらもわたしには無理な相談だ。こんな中途半端さもきっと「わたし」なのだろう。

肩の力を抜いて生きていける気がする、少なくとも、しばらくの間は。理由もなくそんなふうに思う。

【例に漏れず当直中】

久しぶりに、パソコンの中のファイルの整理をしてみた。買ってから3年近くになるけれど、いまのところ目立った不調はない。それでもやっぱりメモリはいっぱいいっぱいなのか、起動にやけに時間がかかったりする。そんなわけで。
ファイルをチェックしていたら、昔むかしの日記が出てきた。といっても、2001年から2002年にかけての。あれ?中途半端だなぁ。あの日記は1999年から2003年前半までつけていたはずなのだけれど。捨てちゃったのかな、まあ、いいや、と思いながら、ひとつ、ふたつ、クリックしてみる。
ああ、懐かしい、というのが最初の印象だった。リアルタイムで苦しかった時期、自分と世界との距離感がはかれなくて、吐いたり、食事を摂ることをやめてしまった時期。いまのわたしはそこからまったく予想しなかった場所にいて、淡々とその言葉を眺めることが出来ている。それはいいことなのか悪いことなのかわからないけれど、「ああ、こんな頃もあったな、この頃のわたし、すごくつらそうだな」と思う。実は、この頃の記憶はかなり曖昧で、「こんなことあったっけ?」と思うこともしばしばなのだけれど、それも病いのため(あるいはお薬のため)だったのだろう。
いま、ここにわたしがこうしていられるのは、わたしを見捨てなかったひとたちがたくさんいてくれたこと、そして他でもなく、わたしがわたしを見捨てなかったから、なのだろう。
過ぎた日々に感謝を。

【影踏み】

今年になってからはじめての更新。
年末年始は当直バイトがひたすらたくさんあっただけで、実質あまり仕事はしていなかったけれど、先週あたりから仕事が急に増えはじめ、足りない頭を駆使して走り回る毎日。一度にたくさんのことを処理するのが苦手なので、進み具合はいまひとつだけれど、目の前にあることをひとつひとつこなさないことにはどうしようもないわけで。
ひとつひとつ、一歩一歩、だ。

【1ヶ月放置、そして年末】

時間が経つのがはやいな、なんて思い出したら、「トシ」をとった証拠なのだろうか。12月もあっというまに終わった。
いろいろあった1年だったな、と毎年思うのだけれど、何もなかった1年なんてそもそもあったためしがないのだから、当然か。来年はさらにいろいろあるのだろうけれども。

体重が急激に増えて、ちょっとばかり落ち込んでいるが、それにしたって摂食制限しようと思わなくなったのはよいことなのだろうか。
しかし、最近特に、当直中に腹部の不快感が多く、毎回のように嘔吐してしまっている。家ではまったく吐かないし、もしかしたら当直先の食事があわないだけなのかもしれないけれど、どうとらえていいのかわからなくて、若干困っている。

よいお年を。

【行ったこともないはるか遠い国の夢を見る】

ロシアになんて行ったこともない。行きたいと強く思ったこともないし、どんな国なのかもいまひとつよくわからない。かつてはソ連であったこと、とても寒い季節があること、とくらいしか知らない。それなのに夢に現れたのはそれこそ夢みたいに美しい、ロシアという名前を借りた国だった。
そしてわたしは一人の美しい少年(青年だったかもしれない)と出会い、恋におちる。目の醒めるような花火、繊細なガラス細工、意外と大味な料理…やはり、これはわたしの幻想にしか存在しない国だったのかもしれない。だってあまりにもつじつまがあわなすぎる。
けれど、その日のうちに少年は処刑される。魔女狩りのようなものだ。居合わせた講堂で、彼と、わたしのその国の友人たち、そして見知らぬ人々が憲兵に連れられていく。講堂の前に一列に並ばされる。憲兵がわたしたちに向かって告げる。「彼らを処刑してよいか。賛同するものは拍手を」と。隣の友人はわたしと目を合わさぬように「拍手しなければいけないのだ」と言う。わたしは小さく手を叩く。その場の誰も賛同なんかしちゃいないのに。
そして彼らは外に連れて行かれる。痛いくらいに寒い夜。講堂のモニタに外の様子が映し出される、そして、
こんな夢だ。あまりにも救いがなさすぎる。