【眠れない夜と、雨の日】

久しぶりに、眠れない夜だ。
遠く、近く、車や電車の音が断続的に聞こえる。虫の声すら聞こえない濃密な闇。蒸し暑いけれど、冷房の嫌いなわたしには、リモコンがどこにあるかもわからない。

昔好きだったこと、いま好きなもの、欲しかったもの、欲しいもの。
睡眠薬を飲んで数時間経ってもまだ眠りに落ちない、どこか一部分だけ醒めた脳のどこかで、そういったことたちがきらきらと、ちらちらと、ひらひらと、揺れている。
どちらかというと、もう消えてしまって掴むことの出来ないもののほうが、欲しくてたまらない気がする。
屈託のない笑顔、どんなものでもつかめると思っていた小さなてのひら、やさしかった世界。
いま、ベッドに寝転んで手を伸ばしても、そこに触れるのは湿度を含んだわたしの呼吸だけだ。

からだを床に押し付けてくるような暑さのなか、明日になったらきれいですらりとした美少女になってやしないかしら、なんて御伽噺のようなことを考えながら、明日になったらもうわたしなんて消えてなくなっちゃっていればいいのに、なんて思ったりもする。いったいどちらが本当なのか、わからないくらいの螺旋。落ちれど落ちれど、醒めた部分は水面に浮いたままだ。

お昼に生きるわたしは、おそらくまだ、そこそこに誰かを癒せる笑顔、廊下で転んだ子供に思わず差し伸べてしまうてのひら、悪いことばかりではなく、むしろ美しい世界、を持っている。けれど、ひとりぼっちの夜には、それはどこかに隠れてしまう。いや、借り物のようなそれらは、夜に返却されているのかもしれない。感情のレンタルだなんて、笑えもしないけれど。
わたしのいるべき場所は本当はどこなのだろう。
明るい世界では少しばかり生きづらくて、闇の中ではどこにも行けやしない。居場所なんて本当にあるのだろうか。

幸か不幸か、誰にでも「明日」は来る。それがいいことなのか悪いことなのかわからないが、それだけは生きていれば誰にでも公平にやってくる。

明日さえ来てくれれば、答えはきっと見えるだろう。
わたしの人生は、砂時計の砂でも、赤く光るゲージでもはかれない。どのくらい多くの時間が残っているか?などというのは問題ではなく、どんな時間が残っているか、が重要だ。
そしてその時間をどう使うか、がわたしにとっては大切だ。
迷うなら行こう。でも、迷いたいときには思う存分迷おう。迷って迷って、まだ迷うならやっぱり、行こう。

うん。そうしよう。