【いつか灰になったこの私を両手に抱いて】

グリーンベンチ (角川文庫)

グリーンベンチ (角川文庫)

真夏の陽射しが突きささるテニスコートで久々に再会した母と娘。人生をやり直そうとするバイタリティ溢れる母と、秘密を抱えた娘との確執はやがて意外な展開を向かえて…。まばゆい光と熱のなかに一個の簡素なベンチを見事に配置した「グリーンベンチ」など二作を収録。家族一人ひとりのこころの闇をあぶりだし、混迷の時代になお燦然とかがやく魂の軌跡とも言うべき傑作集。
戯曲2作。「明は母と姉の姿が現実のものとは思えない」とか、「泰子の絶望を明は自分のもののように感じとる」とかのト書きが面白く、演じるのが難しいのではないかと思う反面、演じてみたい気持ちもかきたてられる。(2002.4.2)

花埋み (新潮文庫)

花埋み (新潮文庫)

封建の遺風色濃い明治という薄明の時代に、夫に移された膿淋による屈辱と痛みから、医学の道を志した一人の女性がいた。荻野吟子その人である。吟子は利根川畔の村に生まれ、のち東京本郷に産婦人科医院を開業、キリスト教信者として社会運動にも参画した。やがて、夫とともに北海道に渡り、理想郷の建設を夢みて必死に生きた。本書は、日本で最初の女医となった吟子の数奇な運命にみちた愛と苦難の生涯を、同じ医師出身である作家渡辺淳一が、深いリアリティと共感をもって描いた初期の代表的長編である。
17歳で淋疾を移され、離縁したぎん。産婦人科での男性医師の診察に激しい屈辱を覚え、医師となることを決意する。女性が学問をすること自体が困難だった時代に、前代未聞の女性医師となるために努力を惜しまなかった吟子の姿には感動させられる。自分の身を振り返って考えさせられた。私も努力しなくちゃ、と思わされる作品。(2001.12.1)

現在でも、「女医」という立場はやや「レア」である。明治時代ならば、なおさらだろうと思う。いまでこそ女性が勉学をすることは認知されているが、当時は向かい風に逆らって、身を削るような思いで勉強したのだろう、と思う。それなのにわたしはどうだ?と思う気持ちになる。年若い志方との結婚、未開拓の地での理想郷建設、そして、あまりにもあっけない最期。人生ってやっぱりむなしいのかもしれないな、と思いつつ、でも、「前例がなくても」やれることはやっておこう、という気持ちになる。

自閉症だったわたしへ〈3〉 (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ〈3〉 (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ」シリーズ3作目。彼女が、彼が、暗闇で手探りをしながら暮らしていくことを、ほんの少しだけれど、理解することが出来る。わたしにもそれに近い時代があったから。
高機能自閉症が注目されるきっかけになったシリーズだと思うが、この本は立派な「恋愛小説」である、といっても過言ではない、と思う。

2001個の「わたしたちを幸せにするもの」が羅列されている本。自分が幸せだと思うことがこの本の中にあるかもしれないし、載っていない幸せもきっとあるはずだと思う。そう考えたら、「私って以外と幸せなのかも」と思えてくる。 2001個も幸せがあれば本当は十分なのかもしれない。
でも、なかなか「幸せ」って、気付きにくいものなんだけど…。(2001.11.4)

眠れローランス (角川文庫)

眠れローランス (角川文庫)

白血病の美しい少女。なんてロマンチックなヒロインだろう。確かにこの物語は美しいのだけれど、もしローランスがそれほど美しい容姿をしていなかったとしたら、このような恋は訪れただろうか、と、美しい少女が恋におちる話を読むたびに、そんなふうに思う。少し意地悪な読み方なのかもしれないけれど。でもそれだけに、結末にそれほど感動出来なかったのかもしれない。美しい恋の、美しい結末に。(2002.8.7)

白血病で亡くなったある人のことをふと思い出した。彼女は若くはなかったし、そして、最後の声と顔は、決して安らかなものではなかった。けれど、彼女には優しい夫とたくさんの子供たちがいて、最後の瞬間まで彼女を見守っていた。そんなことを思い出したのだった。
人はいつか死ぬ。それは事実だ。生きる側にも思い出はきっと必要だ、と思う。