【嘔吐】

この1週間で、実は数回(10回には達していない。)嘔吐した。純粋に吐き気がするときが半分、そうでないときが半分、くらいだろうか。自宅で数回、大学で数回、当直室で数回、といったところ。
お薬によるコントロールはそこそこよくて、気分の変調もあまりなく、すこぶる元気なわけでもないが必要最低限の仕事は出来ているので、このところわりと調子がいいのかなぁ、なんて思っていたのだけれど。そうでもないのかなぁ、と思えるような事実だ。
昔と変わらず、過食はしない。嘔吐だけ。そういうのもなんだかバランスが悪いなあ、と思う。
太りたくない、と思っているのは事実だけれど、無理をしてまで痩せることもないだろう、と思っているから、嘔吐のあとで調子がよくなったら、適当なものを口にすることも出来ているのだけれど。
わたしのなかにはまだ、なんだかわけのわからないものが棲みついていて(いや、でもそれは昔とは別のものかもしれないけれど。)、わたしの思惑とは関係のないところで動いているようで、少しだけ気味が悪い。それはいわゆる「習慣」とか「くせ」とか「嗜好」といわれるものなのかもしれない。そしてそれはきっと、何かのシグナルでもあるんだろうな、と思う。調子がいいとすぐに突っ走ってしまうわたしへの、黄色または赤色の。

上と外〈1〉素晴らしき休日 (幻冬舎文庫)

上と外〈1〉素晴らしき休日 (幻冬舎文庫)

上と外〈2〉緑の底 (幻冬舎文庫)

上と外〈2〉緑の底 (幻冬舎文庫)

上と外〈6〉みんなの国 (幻冬舎文庫)

上と外〈6〉みんなの国 (幻冬舎文庫)

両親の離婚で別れて暮らす元家族が年に一度集う夏休み。中学生の楢崎練は久しぶりに会う妹、母とともに、考古学者の父がいる中央アメリカまでやってきた。密林と遺跡と軍事政権の国。四人を待つのは後戻りできない<決定的な瞬間>だった。
リズム良く進む展開に息つくまもなく、ラストまで一気に読み進んだ。絶対助かるに決まっている、とわかってはいても、これでもかこれでもかと降りかかる困難に、どきどきした。ラストの「モンジャヤキ」発言に何故か涙が出そうになる。(2002.6.21)
2回目のはずなのに、ストーリーを殆ど忘れてしまっていた。そのおかげで楽しく読み進めることが出来たのだけれど。こんなストーリーを忘れてしまうなんて、どうかしている。これでもか、これでもかと降りかかる「絶体絶命」の危機、これでもか、これでもかと降りかかる「感情的錯綜」の絡み方が実に上手いと思う。ひとつひとつの台詞や感情には重みがあって、「子供に読ませたい本」リストに挙げたくなった。(2005.10.30)

凍りついた香り (幻冬舎文庫)

凍りついた香り (幻冬舎文庫)

今でも彼の指先が、耳の後ろの小さな窪みに触れた瞬間を覚えている。まずいつもの手つきでびんの蓋を開けた。それから一滴の香水で人差し指を濡らし、もう片方の手で髪をかき上げ、私の身体で一番温かい場所に触れた―。孔雀の羽根、記憶の泉、調香師、数学の問題…いくつかのキーワードから死者をたずねる謎解きが始まる。
小川洋子の作品ではいつも、いつのまにか不思議な世界に連れて行かれてしまう。「ここから!」と始まるのでなく、「いつのまにか」。自殺した恋人・弘之の偽りの過去をたどって、弘之とはいったい誰だったのか、謎は深まるばかり。最後まで、いや、最後になっても、その謎は解き明かされることはない。そのまま放り投げられたような読後感もまた良し。「記憶の泉」という名の香水は、どんな香りがするのだろう。(2001.9.15)
「弘之ははじめから死んでいたのかもしれない」という一文にはっとした。ラスト、子供たちに数学を教える、弘之の弟・彰に、弘之の幻影を見る。(2002.6.10)
何度読んでも、「こちら」と「あちら」の境界線がはっきりしない。弘之は本当に存在していたのかさえもあやしくなる。記憶、というのはとても曖昧なものなのだ、という感覚を残して、またわたしは「こちら」に放り出され、本を閉じるのだった。(2005.10.30)