【がんばりやさん】

がんばりやさん、と言われることが多い。
でも、わたしはまわりの人(たとえば同僚、たとえば友達、たとえば趣味仲間)に比べて、かなり劣っている部分が多い。なににつけても。それは思い込みではなく、おそらく客観的に能力を評価できるスコアがあるとしたら、一目瞭然の差であるとわたしは思っている。
そんなわたしが「がんばりやさん」であるわけがない。
がんばっているのなら、少なくとも他人と同じくらいに出来ることがあってもいいはずだ。がんばってもこの程度、と思われているのがくやしいのかもしれない。
そんなに無理をしているように見えるのだろうか。それとも、わたしがかつて隣に置いていた(あるいは共生していた)病のようなものを知っていて、無理はするなと言っているのだろうか。あぁ、もしかしたら、ちょっと勢いよく仕事をするとすぐに倒れてしまう、そのひ弱さに対して、力配分うまくやりなよ、と言われているのかも。そのあたりはよくわからない。
でも、そう言われれば言われるほど、自分が無力で無能であることを思い知らされる。そのことに最近、気がついた。

がんばる、がんばらない、はどちらでもいいことだと思っている。
がんばりたければがんばればいいし、あまつさえ、無理をしたければ時には無理をしてもいいとも思っている。命を落とすような無理をしさえしなければ。
がんばらないことも素敵なことだ。力を抜いてふわりふわりと漂うような生き方は、見ているほうも楽だし、きっと本人も楽だろう。(がんばらないことにもある種の努力は必要なのだけれども。がんばらないようにしよう、という一種の縛り。)

まぁいいや。
とりあえず人並みになるためには努力が必要だ。
でも、ほどほどに「がんばる」匙加減はわかってきたつもりだから、しばらく倒れないようにしないとなぁ、と思う。

いま、いちばん大事なことは、倒れないことだ。毎日の生活を滞りなく続けること。
それだけは、保たないといけない最低のライン。