【変身、回帰、それともはたして】

鬼束ちひろ、ロッカーに変身」
そんな記事を、ネットニュースで見かけた。
賛否両論(「引いている」だろうコメントも多数見かけた。)のこの変化には、きっと驚いたひとも多いのだろうなぁ、と思う。
でも、わたしはそんなに驚かなかった。

彼女に何が起こったのかわたしにはわからない。いや、きっと誰にもわからないだろう。そしてそれが一過性の変化なのか、それとも恒常性の変化なのかなんて、本人にすらわからないのではないだろうか。
さらに言えば、それがいいことなのか悪いことなのか、なんて誰にもわからない。

でも、こういうことってあっていいと思うのだ。

変えたくない何かがあるのなら、変えなければいい。変わりたいところは変わればいい。ひとって、わたしが思っていたより流動的に出来ている気がする。
そしてそれは、他人がとやかく言うことでもないと思う。よほど、まわりに多大な迷惑をかけているなら別として。

「歌うときは絶対裸足」とインタビューで答えていた彼女が、ブーツを履いてステージに上がったのは確かに少しばかりの寂しさも感じる。(もしかしたら今回に限り、すごく足元が危なかったのでやむなく、とか、そういう可能性も否定は出来ないけれども。)
「裸足で歌うと気持ちがいいし、うまく歌える気がするから」と彼女は言っていた記憶がある。それはわたしもかなり同意する部分があった。でも、実は裸足で歌うことだけではなくて靴を履いて歌うことも気持ちいいと認識出来たのかもしれないし、裸足でなくてもうまく歌えることがわかったのかもしれない。
そうかもしれない、と思ったら、わたしも、「こうでなきゃだめ」なんていう鳥籠(それは幾重にもわたしを閉じ込めている。)から、ひとつずつ出て行こうとする勇気を持てる気がした。
いま、気持ちがいいと思っていることは、実は「これしか知らない」だけで、本当はもっと違うものを試したら、もっと素敵なことを見つけることが出来るのかもしれない、と思う。

なんて、とりとめもなく考えてみる。無責任な考察。