【倦怠感】

今日は外勤日。
わたしの派遣されている病院は、えてして平和だ。あまり多くはない外来患者さんを診て、職員さんを診て、病棟の褥瘡を診て。平和ではあるけれど、要は、生命危機に直結するようなことがないというだけで、それでもやっぱり忙しい。
最近うまく眠れなくて睡眠不足だったこともあって、食事休憩についついうとうとと。

ここ1年近くバレエを習っているのだけれど、それすらも最近は通うのが難しくなってきた。
純粋な忙しさで言えば、少し前のほうが忙しかったはずだ。でも、なんだかんだで月に最低でも3回はレッスンに通えていた。
もっと言えば、去年はわたしは舞台に立ったりもしていたわけで。毎日のようにハードな稽古に通っていた日々もあったのだ。
それなのに、いま。時間的余裕に関しては以前と変わらないはずなのに、今月は結局1回もレッスンに行くことが出来なかった。
体力が落ちたからか、はたまた、舞台に対する情熱をなくしつつあるからか。
おそらく、いまの生活といまの体力で、舞台に復帰することは無理だろう。
いや、がんばってがんばって無理をすれば、きっと出来る。そうしてこの数年間、やってきたのだから。
でも、今日、ふと、静かな諦めのようなものを感じて愕然とした。

わたしは舞台で何をしたかったのだろう。

わからなくなった。舞台に立つことでなくしたものも、得たものもたくさんある。でも、そもそもわたしはどうして舞台に立ちたかったのだろう。わからない。
でも、舞台に立っているわたしは「生きていた」。いまでも、舞台に戻りたい気持ちは、弱くはない。
だからといって、何もかもを捨ててでも舞台に立ちたい、とまでは、いまは思うことが出来ない。

少なくとも。バレエは自分を磨くために、という理由をつけて継続はしていくつもりだけれど、「舞台」に戻るかどうかは、いまはまだ決めかねている。

というか、諦めみたいな気持ちを持ってしまった自分にびっくりした、というのが、いちばん大きな感情ではあるのだけれど。

コスト、コストとあまり言われると、「(決して高くはないのだが)お給料減らしてでもいいから、このお薬を使わせてください」とたまに言いたくなってしまうのだが、それは何かが間違っていると思うので、いつもぐっとこらえている。

経営というのはひとつの才能だと思ってわたしは尊敬しているし、安くあげてもお金をかけても最終的に治りが変わらないなら、それはそれでいいのだ。

でも、たまにそれがとても窮屈になることがある。
これを使えばいいのになぁ、と80%くらいの確率でわかっているときなどは、特に。

「女の子は誰でも女優なの。人生という大舞台の主人公を華麗に演じるのよ」なんてどこかの古い少女漫画で読んだような台詞。
それもまた一理。

でも、何かが足りない。そして、少なくともいまの時点で何が足りないのか、自分にわかっていることが、せめてもの救いだ。