【卒業試験】

卒業試験の覚え書き。
もう、あれから2年も経ったのか、と思うとなかなか感慨深いものもある。

留年を繰り返したおかげで、卒業試験を何回か経験した。
1回目の卒業試験を受ける人たち(90%以上はそうだ。)が、本試験を次々とパスしていく中、わたしはぐずぐずと再試験の数を増やしていった。
本試験はわりと問題も易しめで、過去に出題された問題も多い。だいたい1科目終わると2〜3日の勉強時間もある。要領よく合格するためには、ここでパスしておくことが必須である。
それに対し、再試験はほぼ毎日組み込まれていて、下手をすると(その下手がわたしだが。)週に5科目の再試験、なんてことにもなりかねない。本試験の問題をちょっと変えたような試験を出してくださる好意的な先生もいらっしゃるが、そんな先生ばかりではない。かなり合格しにくい試験もいくつかあるのだ。再試験があるだけ幸い、という考え方もあるけれど。
というわけで、わたしは最後の1年も、がけっぷちに立たされていた(立っていた)といっても過言ではない。
再試験中はかなり勉強したつもりではあるけれど、なにぶん、集中力が続かないし、睡眠時間が削られるせいで(1週間に5時間睡眠、という時期もあった。)ますます体力も記憶力も落ちていく。どうにかぎりぎりのラインでパスするのがやっとだった。
それでも、いくつかの試験は、終わったあとに「もうだめ、落ちた」と思うこともあった。はじめて、勉強が出来ない、ということが悔しくて泣いた。もうわたしは一生卒業出来ないのではないかと思った。わたしに残されている道なんて何もない、と思った。その当時は、どうしても医者になりたい、あるいは、ならなければ、という気持ちはあまり強くなかったが、それでも、医者になれなかったら、わたしはどうやって生きていったらいいのだろう、と思った。
(いまならば、医者になれなくても、とりあえず生きていく=食べていく術はなにかあるだろうし、自分のやってみたいことをやってみるというのもいいかもね、なんて、楽観的に考えることが出来るのだけれど。当時のわたしにはそれは無理だった。いや、もしかしたら、いま、こうして楽観的に考えられるのも「なったもの勝ち」といった部分もあるのかもしれない。)
でも、奇跡的に卒業証書を手に入れることが出来たのは、おそらくまわりの方々の厚意と、ある種の運の良さによるものだ。わたしは「勉強の出来ない学生」「やる気のない学生」ではあったけれど、ある意味では「感じの悪い学生」ではなかったのだろう、と、おこがましくも思ってみたりする。
「信じるものは救われる」なんて楽天的すぎることは言わないが、「信じないと救われない」のも確かだ。「どうにかなる」なんて無責任なことも言わないが、「どうにかしようと思えば、どうにかなることもある」とは言える。

そして奇跡と優しさのうえに、いまのわたしは仕事をしている。
そのことは忘れないでいよう、とときどき、思い出すのだ。