【数字も図形も言語も苦手で】

食欲がないせいで少しだけ体重が落ちた。
全体的な体重自体は、研修医になってからもほとんど変わっていないのだけれど、(普通、痩せるかあるいはストレス食いで太るというが、幸いにもわたしはどちらでもない。いまのところは。)ここのところ「痩せたね」と言われることが多くなった。
体重1キロや2キロでそんなに言われるはずもない。何故だろう、と考えてみたら、おそらく、顔が「やつれた」のであろう、と思いついた。
もともと、全体的にふっくらした体格で、顔もしかり、だったのであるが、そういえば最近二重顎が出来なくなったなぁ、とか。(そのかわり、お腹まわりに肉がつきやすくなった。)
特別に苦労をしているつもりもないのだけれど、やはりそれなりにどこかにしわ寄せはくるわけね、とちょっとだけ落ち込んだ。
でも、どんなにやつれて見えようと、笑顔だけは絶対に忘れないつもりだ。

提出物がかなり切羽詰っているので、日曜日の午後にも少し仕事をしに来た。

ある程度区切りがついたら、今日もしっかり休む予定。

ここのところの日記を冷静に読み返してみたら、なんだか、結局、からだを休めるのに言い訳をいろいろつけているだけなんじゃないか、という気もしてきた。
それが悪いというわけでもないのだけれど、やはり「休む」ということに罪悪感がつきまとうのは、なんだか妙な感じがする。

むしょうに芝居がやりたい。
バレエ・レッスンの日のやりくりに折り合いがつきそうになっているので、おそらく月に4〜5回はレッスンに通えるだろう。動きはまだまだよくないが、基本はわかりかけているし、「からだ」と話が出来るようにもなりつつある。(今更そんなこと、と思われるかもしれないが、わたしの進歩はきわめて遅い。遅いけれど、少しずつ、進歩しているのは感じている。)
でも、なにかが足りない。からだを動かすだけ、声を出すだけ(車の中で歌ってばかりいる、というだけのことではあるが。)、で充実感を感じるわけではないことを、いま、痛感している。
ただ、何故芝居でなければならないのか、ということは、わたしには実はわかっていない。自分を表現したいなら、ピアノだって、歌だって、踊りだって、文章だっていいじゃないか、と思う。そしてそれらをぱらぱらと中途半端ではあるけれどやり続けているわたし。それでいいじゃないか、と言われるのだろう。きっと。(あぁ、そういえば、どこかで誰かに「湖都ちゃんは器用貧乏」と言われたこともあったっけ。)
でも、何故だろう。何故かわからないけれど、どうしてもわたしは芝居がしたいのだ。
「芝居」が何であるのかも、実はよくわかっていない。違う誰かを演じることなのか、それとも自分の奥へ奥へと潜っていくものなのか。全然、わからない。
でも、持てるもののすべてを使って、何かを表現したい。指先から髪の先まで、声、呼吸、そしてなにかわけのわからない空気のようなもの。それらを全部使い切ってみたい。
充実感が欲しいだけなのかもしれない、もちろんその可能性は否定出来ない。
けれど、出来るならまた、わたしは別の人間として、でも、ほかでもないわたしとして、舞台に立つ、ということを、切望している。

○今日、なによんだ?
特集:アトピー性皮膚炎〜最近の進歩〜疫学調査でわかったこと(山本昇壮、皮膚アレルギーフロンティア、2003年12月)