【わたしなんかいなくたって世界は回る】

タイトルのようなことを考えているわけではない。わたしひとりくらいいなくたって世界は回る、それは正解。でも、わたしのまわりにある小さな世界は、きっとまわらなくなる。そして、「わたしの世界」は確実にまわらなくなる。
それは出来れば避けたい。

昨晩0:00から、今日もひたすら17時間の連続睡眠。…って、今日、月曜日だし。それってまずいよね?と思ったが、朝、医局に自分で電話をかけて欠勤の旨を連絡していたらしい。それだけまだましか。
眠りから醒めない、というだけで欠勤するのが社会的に許されることなのかどうなのかはわからないけれど。一般的にはそれは「だらしない」とか「なまけもの」という言い方をされることが多いから。10時間の朝寝坊をだらしないという言葉で表してよいのか、というのは少しおいておくとして。

わたしにとって不安なのは、こういうことが予期せず起こることが、今日のようにあり得る、ということだ。今日はまだ幸いだ。わたしがいなくても、上級医も同期もいて、患者さんに対してしかるべき処置はなされているだろう。でも、もし、わたししかその仕事を出来る人間がいなかったらどうなる?
それに、たまに起こる不安発作。最近はソラナックスで対処しているが、対処しきれない状態になったら?実際、ときどきは廊下で倒れて気づいたら点滴を打たれていた、なんていう事態も起こっているわけだし。
そう考えると、わたしは早い段階で、ある種のふるいから落とされておくべき人間なのかもしれないなぁ、なんてどんよりと思ってしまうのだ。
ある程度の改善はした。(ほぼ完全に)毎日仕事に出ることも出来るし、仕事場にいるあいだはある程度の緊張感を持って働くことも出来る。でも、それが出来ない瞬間がときどきはやってくるのだということは、わたしをひどく不安にさせる。

その可能性は、もちろん誰にでもあることだ。前日まで元気だった先輩ドクターが循環器疾患で突然に亡くなったのはそう遠い過去ではない。脳腫瘍が見つかったドクターもいれば、鬱病で入院して、でも退院して一線で頑張っているドクターだって何人か知っている。
だから、いつ何が起こるかわからない、という不安は、もちろんわたしだけのものではない。ただ、その可能性がわたしは他の人よりも少しだけ高い、というだけだ。

わたしはまだ幸せだ。まわりの人たちはある程度わたしの「発作」のことを知っていて、たまに抗不安剤を飲んでいることも、睡眠薬で眠りを確保していることも許容してくれているから。
ただ、いつまでそれが持つか、はわたしのがんばり次第だと思うのだ。
少なくとも職場にいるあいだは笑顔でいること、昼休みを必要以上にとらないこと、やるべきこと、やりなさいと言われたことは時間を守って出来る限りやること。せめてそれだけでも。

「精神的疾患」というカテゴリに、わたしは既にあてはまらないのかもしれないけれど、(いや、充分あてはまるのか?)そんなふうにカテゴライズされただけで働きにくくなる職場も多いらしい。(幸い、わたしのところはよかった。)
でも、そこでがんばっていくにはどうしたらいいか、わたしも少し考えてみたいなぁ、と思う今日この頃。
ふるい落とされてはたまらない。ぎりぎりでもいいから引っかかって。
わたしにはわたしにしか出来ない仕事がしたいから。

まぁいいや。
ごちゃごちゃ言う前に歩き出そう。
仕事場には行かなかったけれど、何かひとつくらい先へ進めることを考えて。