【正直な人】

あまりたくさんある病気ではないし、みんながみんなそうではないのだけれど、どんどん転移がすすんでいって、ぼろぼろになって亡くなってしまう、そういう病気も、世の中にはある。
そして、いまわたしが担当している患者さんに、その病気の人がいる。

彼女に会うたびに、彼女には伝えていない「5年生存率」が頭に浮かぶ。5年後にどのくらいの人が生きているか、という確率なのだけれど、それはあまり芳しい数字ではないので、本人には伝えなかったのだ。
でも、本人はなんとなく、そのことを知っているような気がする。以前亡くなったあの人も、あの人も、そうだった気がする。いや、これはわたしの勝手な思い込み、そうであって欲しいという勝手なエゴなのかもしれないけれど。

わたしはドライなほうだと思っていたが、実は意外と「ウェット」であるらしく、患者さんの訴えを聞きすぎることがときどきある。そして申し訳ないが、自分も消耗し、疲れてしまうこともしばしば、ある。
血液検査のデータを伝えるときの彼女の言葉や表情に、わたしまでが一喜一憂し、疲れかけているのを見かねてか、わたしの上級医はこう言った。
「あの人は、いずれ遠くないうちに、ぼろぼろになって死ぬ。それは、ほぼ間違いようのない事実だと思っている。そうだろう?だから、いま、そんなに君自身をすり減らしてまで考え込まなくてもいいんじゃないか?」と。
確かに。同じ病気の人が何人も何人も亡くなっているのをわたしは知っている。だから、それを否定するつもりはまったくない。そしてその死に方にしても、そんなに楽なものじゃない、ということも。そしてわたしのすべきことは、彼女についてのことだけではなく、多くはないけれど、何人かの患者さんのために考えなくてはいけないことだってある。
この上級医の言葉に、反感を持つ人も少なからず、いるだろう。けれど、わたしはその言葉をとても正直だと感じた。思っていてもなかなか言える言葉ではない。そしてそれは、決して生命を軽く扱った言葉ではないことが、わたしにはよくわかったからだ。たくさんの症例を見てきたからこそ言えることでもあり、たくさんのわたしのような疲れかけた研修医を見てきたからこそ言える、ことなのだろう。
ここまでドライに割り切れるようになりたい、とはさすがに思わないが、でも、それなりにもうちょっと、自分と患者さんの感情を切り離して考えることもときには必要になるのかもしれないな、と思った一件だった。

そして今日はわたしは体調不良を理由にお休みを取った。
といっても、もともと休日なのだから、休んでいけない理屈はないのだけれども。

結局1日中、眠っておしまい、の休日。
たまにはそういうのもあり。