【冬眠】

次になにをすればいいのか、理解出来ている。それはいつもやっていることで、やり慣れていることで、難しくもないことだ。そしてもちろん、いやなことでもない。むしろ、すすんでやりたい、くらいに思っている。仕事に対しては。
そして、今日の朝からのほぼ分刻みのスケジュールは、緊急入院がないかぎり、ではあるが、だいたい頭に入っているし、それはおそらく予定通りに終わるだろう。

でも、それをするためには、どうやって家を出て、どうやって服を着替えて、どちらの足から踏み出したらいいのかが、いま、わたしにはわからないでいる。

朝、倒れて、とりあえず家で休んでいるところ。
ときどきこんな日がある。
からだがだるくて重いだけではなくて、何も出来なくなってしまう、普通に出来るはずのことのやりかたを忘れてしまう、そんな日。

こんなわたしがまだ仕事を続けていられるのは、奇跡に近いものがあると思う。

ここのところ、ずっとこんな感じだ。
仕事場で倒れたり、救急外来に連れて行かれたり、休みの日には目が醒めなかったり、そして慢性的にからだがだるい。
積極的に仕事をしたいのに、それがかなわないのがもどかしい。
そして、まわりに非常に迷惑をかけているのも、つらい。

無理はしない、と決めている。でも、こんな状態がいつまでも続いたらどうしよう、と少しだけ不安にもなりつつある。

何も考えずに動く、それはわたしの好きな言葉だけれど、いまのわたしは、考えなければ動けないし、考えても動けない。

でも何はともあれ、どんなにひどい状態でも、仕事場には行くべきだ。それだけは、わかる。

夕方近く、這うようにして医局へ行き、白衣を羽織ると少しだけ元気が出た。
出会った人はみんな「顔色すごく悪いよ、大丈夫?無理してこなくてもよかったのに」と言ってくれた。
でも、きちんと「センセイ、処方漏れてたよ。そのあたりはまかせてあるんだから、きちんとやってくれなきゃ困るからね」と叱ってくれた先生もいて、それはそれでなんとなく優しさを感じてみたり。体調が悪いからといって処方ミスが許されるわけではないのだから。それならば今日困らないように昨日やっておく、ということも大事になってくるわけなのだ。
患者さんにも一応、回診を兼ねて挨拶に。みんながみんな「顔色悪いよー、センセイ」と、心配ばかりしてくれるので、こちらのほうが申し訳なくなる。けれど、患者さんと真面目な話やそうでない話(たまにはそういうこともある。)などをしているうちに、かなり元気が出てきたのも確かだ。
医局に帰って、「少しは顔色よくなった?」と同僚に聞いたが、誰も肯定はしてくれなかったけれど。やっぱりわたしは少しでも動いていたほうがいい、と思う。

帰り道は息も苦しいくらい疲れてしまっていたけれど、それでもやっぱり仕事は続けていたい、と思った。
いつかもし、フルタイムで働くことがかなわなくなったとしても、パートタイムででもいいから、ある程度の責任と義務、そして権利を持った仕事は続けていくことが出来たらしあわせだな、と思う。

柩の中の猫 (集英社文庫)

柩の中の猫 (集英社文庫)

東京郊外に暮らす美大の講師、悟郎とその娘、桃子。桃子はララという猫にしか心を開かないが、家庭教師として雇われた画家志望の雅代にだけはある種のなつきを見せている。悟郎にほのかな憧れを寄せる雅代、けれども悟郎は若い娘との再婚を決める。そして、雅代は彼女が犯した思いがけない罪を見つけ、誰にも言えない閉塞の中へ沈んでいく。
そして、雅代は新たな罪を作り出してしまう…のだろうか。

柩の中の猫は雅代だ。そして、それは桃子だ。そしてまた、それは「わたし」自身だ。

おそらく、この凍りつくように続いた事件たちは、誰のせいでもない。いや、原因は誰かにあるのだけれど、連鎖を呼んだことには誰の責任もない、と思う。ちょっとしたタイミングとバランスの喪失が、悲しい最後を生むことになったのだろう。
似たようなことはきっと、たくさんあるに違いない。