【ルージュキャロット】

ここの当直室は何故か甘酸っぱいハーブの香りがする。24時間のかんづめも、あと7時間ちょっとで終わりだ。

舞台に立ちたい、と再び思いはじめたわたしは、やはりどこかに満たされないものを抱えているのだろうか。

舞台を観ることの魅力と、舞台に立つことの魅力、ってそれぞれ、何なのだろう。どちらもすごく大きくてわけのわからない力でわたしを押し流してしまっていて、本当はどうして舞台を観ているのか、どうして舞台に立っているのか(立ちたいと思うのか)なんてもうわからなくなってしまっている。
毎日、白衣という衣装を着て、診察室という舞台で、医者という役を演じているにもかかわらず。
結局、ないものねだりにすぎないのかもしれない、わたし。

久しぶりに会った人から、「綺麗になったね」というひとことを頂戴した。そうなのかな。当時と比べて2、3kgほど余分な脂肪がついてしまったし(そしてその脂肪は当時とは違う場所に分布しているはずだ。さらに言えば筋肉もかなり落ちている。)、加齢に伴って小じわも増えているはずだし、目の下の隈も濃くなった。疲れも年齢も隠せなくなってきつつある。それでも彼女は本気でそう言ってくれていた。要因はいったい何だ?
自分で考えるのもおこがましいものがあるとは思うのだけれど、これからのためにもちょっと本気で考察してみようと思う。
日々なるべく怠らないようにしている肌の手入れのためか?(美白と保湿は欠かさないようにしている。)自分の欠点を隠し、なおかつちょっと綺麗めに見せるものを着ていたからか?(たとえば5cmヒールの華奢なサンダルとか、アシンメトリーなラインのワンピースとか、ちょっと華やかな花模様とか。)少しだけ上がったメイクのテクニックのせいか?(それは一理あるかもしれない。眉の描き方も、チークの乗せ方もずっとうまくはなっている。隠し味にラメを使うのも最近気に入っている。)お気に入りの香水にだまされたか?(それも一理あるかもしれない。少なくとも女性らしい香りを身につけるようにはなったから。)作り笑顔が上手になったからか?(それは微妙だ。けれども、最近どの写真を見てもわたしは同じような笑顔をしている。まるでプリクラや携帯カメラで練習したかのように、きっちりと同じ。)
あぁ、そうか。ちょっと見えたかも。
当時に比べたら、ほんの少しだけ、自分に自信が出てきたからかもしれないな、と思う。少なくとも、自分を少しでも小綺麗に保とう(あるいは、そう見せよう)と思えている時点で、そうなのかもしれない。本当に自分のことが嫌いだった頃、そんなふうにはなかなか思えなかったから。
なんだかんだと言いながら、結局のところ、わたしはいま、きっとしあわせなのだ。
それから。痩せていることが「綺麗」ということの第一基準ではないことも、いまはなんとなく、わかる気がするのだ。