【無我夢中】

ピンク・バス (角川文庫)

ピンク・バス (角川文庫)

子供を妊娠し浮かれているサエコの家に、夫の姉・実夏子が突然訪れて…。
支離滅裂な行動を繰り返す、夫の姉・実夏子。妊娠のせいで情緒不安定になっているサエコがおかしいのか、それとも、実夏子がおかしいのか。ときどきわからなくなりながら読み進んだ。過剰なまでの「自分探し」をしてきたサエコの本当の居場所はどこなんだろう、とも。そしてそれは少しだけわたしに似ていて、思い出したくない過去もたくさんよみがえらせたけれど、それはそれでいいのかな、と思う。サエコには帰る家も、子供もいるのだから。(2005.10.28)

【killing me softly】

六番目の小夜子 (新潮文庫)

六番目の小夜子 (新潮文庫)

津村沙世子―とある地方の高校にやってきた、美しく謎めいた転校生。高校には十数年間にわたり、奇妙なゲームが受け継がれていた。三年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が、見えざる手によって選ばれるのだ。そして今年は、「六番目のサヨコ」が誕生する年だった。学園生活、友情、恋愛。やがては失われる青春の輝きを美しい水晶に封じ込め、漆黒の恐怖で包み込んだ、伝説のデビュー作。
相変わらず私は学園ものが好き。謎めいたものなら尚更に。
サヨコ伝説が誰の手によって作り出されたか、ラストで明らかになる。ちょっと意外な展開に驚かされた。美しく、頭脳明晰で快活な沙世子。秋との恋愛を期待していたけれど、結局ふたりは結ばれることはなかった。でも、同じ大学に受かったという落ちがあるので、これから期待出来るのかもしれない。もし、続編があったとしたら。(2001.7.9)
関根秋、「象と耳鳴り」の関根多佳雄の息子だったのか。今更ながらそんなことに気がついた。学校、というのは不思議な場所だ。冷静に考えてみたらそこはかなり異質な場所である。みんな同じ服を着て、前を向いて机に座って授業を受ける。けれど、多くの人はそれを普通のものとして受け入れている、それでもやっぱり、どこかに違和感のようなものがあるのだろう、だからこういった物語は、いまでもわたしを惹きつけるのだろう。(2005.10.23)

たとえそれが「女性だから」という理由でも、「まだ若いから」という理由でも、「センセイってなんか話しやすくて好き」なんて、患者さんやスタッフに言われてしまうと、うれしくなる。それだけでも、この仕事をしていてよかった、と思えたりする。
逆に、「若い」「女医さん」であるがゆえに、信頼されにくくて困ったりすることもあるのだけれど。それはそれで、努力の余地あり、といったところで、それもまた、楽しい。

ロールケーキについての考察、続き。
わたしは、ロールケーキを「美味しい」と思って食べている。甘いものを食べ過ぎると胸焼けがしたりするものだが、いわゆる過食をしていた頃には、そんなものは感じなかったか、あるいは、感じても、食べることをやめることが出来なかった。自分が決めた量を何がなんでも食べつくし、嘔吐する、というパターン。
けれど、いまは、「おなかいっぱい」か「胸焼けがする」くらいになったら、「食べるのやめた!」と、残りをサランラップにくるんで冷蔵庫に入れるくらいのことは出来ている。
そのあたりは、やっぱり変わってきたのかな、と思えるところだ。

【終わらない夜】

久しぶりにゆっくり休もう、と思って、時間外の仕事をキャンセルして帰ってきたものの、なんだか何もやる気にならない。
そろそろ限界が近いくらいに散らかった部屋も片付けたいし、山積みになっている情報ソースも整理したいし、美味しいお菓子を食べながらコーヒーを飲んだりもしたいし、これでもかというくらい眠りたいし、あたたかいお風呂につかってぼーっとしたりもしたいし、さぼりがちなお肌のお手入れもじっくりしたいし、剥げかけたペディキュアを綺麗に塗りなおしたいし、ストレッチもいつもより念入りにやりたいし、お買い物にも行きたい。
でも、せっかく時間が出来たのに、結局何ひとつ達成されなかった。
まぁいいか、こんな日もあるし、ゆるりと時間が過ぎていくだけというのもなかなか悪くはない、と思うのだけれど、それでもやっぱりどこかで「もったいない」という意識が働いてしまうのか、どうも焦ってしまう。
そして結局、何も出来ないのに眠れもしない、という夜。こんな夜はなかなか終わらないのだ。

ロールケーキを食べ続けていることになんとなく罪悪感を持っていたが(ここ2、3日は食べていないけれど)、いつも買っているあのロールケーキはやはりかなり美味しいと思うし、ちょっと体重は増える傾向にはあるけれども、「ダイエット中なのにロールケーキがやめられないんだ、えへ」なんて、外国の漫画に出てきそうな女の子のかわいらしいわがまま、に取れなくもない。そんなふうに考えついて、ちょっとだけ笑った。

渡辺美里ニューシングル「トマト/No Side」が先日発売になった。歌手生活21年目、そして今年は西武スタジアムでのコンサートを卒業した彼女。21年!わたしはデビュー3年目くらいから追いかけているから、わたしの人生の3分の2は彼女の歌を聴きながら過ごしてきたことになる。それって、うまくいえないけれど、なんだかすごい。それより、彼女自身は自分の人生の半分以上を歌手として過ごしてきたのだ。それも、なんか、すごい。
ああ、そういえばあの子も渡辺美里のファンだったなあ、とふと思い出す。ここのところ毎年、西武スタジアムでのライブが近づくと、「湖都ちゃんも行くよね?」と電話をくれていたっけ。結局、彼女と一緒にスタジアムに行くことはなかったのだけれど。そして、それはこれから先、もう、ない。
あの子がこの世界からふっと消えてしまったことを、あの子の妹さんはメールで、あの子の旦那様は電話で(でも、この着信は気づかれないまま、コールバックのタイミングをずるずると延ばしてしまっている。彼とはまだ話をしていない。)知らせてくれた。あれから3ヶ月くらいになるだろうか。いまだに信じられないでいる。タイミングを逸してしまったために、あの子の死因は何だったのか、すら聞いていない。落ち着いたら、ご挨拶に行こう、とは思っているのだけれど。
DVD、万単位になるからちょっときついけど、絶対買う!なんて、その数日前には笑って話してくれていたのに。予約したって言ってたのに。
彼女の歌を聴くたびに、わたしはあの子のことを思い出すのだろう。
今更だけれど、ご冥福をお祈りしています。

【前景はわかりやすい嘘】

ここのところ、わりと調子がいい。寝つきも悪くないし、日中の気分の変動もないし、食欲もある。仕事も研究も休まずやっている。でもあまり無理をしすぎないようにセーブしていく余裕もある。
これ以上よくならなくてもいいから、せめて今の状態を維持していけたらいいのに。

でも実はちょっぴり食べすぎ気味だったりはする。9月末から10月に入るくらいまで、毎日、ホイップクリームのたっぷり包まれたロールケーキを1本食べてしまったりしていた。久しぶりに昨日、そんな衝動に勝てずに、ロールケーキ1本を平らげる。美味しい、と思えるし、なければないでどうにか我慢も出来るので、まだ大丈夫だろう、とは思っているけれど。

【札付きの寂しがりや】

他人が暇そうに見えると機嫌が悪くなる人、とわたしの日記にはよく出てくるのだが、(いつも同じ人物をさしているわけではないのだけれど)やっぱり今日も、そんな態度を全面に押し出されていて、どっと疲れる。結局、自分の仕事が増えているわけでもないのに、(それに、みんな暇なわけじゃなくて、それなりに仕事はあるし、日によって仕事量に波があるのも当たり前なのに)どうして「自分ばかりが忙しい」なんて思えるのかな、と不思議に思う。確かにわたしのような「一見のんびり」な人間は感情的に振り回されることも多いけれど、なんだかそれってちょっと羨ましいな、と。それだけ他人に誇れるだけの仕事をしているという自覚があるのだもの。

それともなんだかわたしって嫌われオーラでも出ているのかしら。この髪型もこの顔立ちもこのメイクもこの服もこの香水もこの声もこの話し方もこの仕事振りもこの手つきもこの笑い方も、なにもかもすべてが、嫌われる要素に思えてくる。そんなわけは決してないのは承知のうえ。
他人の感情に振り回されるのも疲れるからほどほどにしておこう。わたしだってきっと、無意識に誰かを避けたり誰かに腹を立てたりすることだってあるのだから。本当に自分が直さないといけないところは何なのか、それを見つけていかなくちゃ。わたしは全人格を否定されているわけではないのだ、と思いたい。

【完璧になれない完璧主義者】

そうか、そういうことか。
日直+当直中、ベッドに寝転びながらふと考えた。

わたしはきっと、役割を完璧に演じたくて、でも、そんなことは実力的にも時間的にも不可能で、それがきっととても悔しくて歯がゆくて、それなのに結局は「all or nothing」で放り出してしまう、のである。そして、放り出してしまった自分を激しく責める。
学生であり、研究者のはしくれであり、医者であり、誰かにとっては恋人や友達であり、(一時期だけであっても)役者であり。その役割を演じ分けることが、きっとわたしには難しいだろう、そんなふうにあなたは思っていたんだろう、と思う。
わたしもそう思う。これ以上の演じ分けはおそらく不可能だ。
だけどそれでも、わたしはもうひとつ、あるいはふたつの「役割」を欲しがっている。いい加減欲張りはやめなくちゃ、と思うけれど、どうしても。

【ふるふる】

もう疲れちゃったよ、こんなことやめちゃおうよ、何もかも放り出して眠ってしまってもいい?何も考えたくないし何もしたくない、このままここでずっと眠り続けていたいんだ。ただそれだけなんだ。

そんなことをわたしが言いだしたら、きっとそのまますべてが終わってしまうのだろう、と思う今日この頃。孤立無援、四面楚歌、そういう状況になるよりは、どうにかがんばって毎日を繕っていくほうが楽だ。本当に、わたしの存在とそれに付随するすべてを「終わらせる」なら話は別だけれど。

こんなこと、誰にも言えやしない。

ただゆるりと微笑みながら毎日を泳いでは流されていくだけだとしても、この流れが行き着く先を、見てみたいから。
すべてを終えるのは、それからでも決して遅くはないだろう。